人生を巡るスートの話


人間は動けないときこそ、未来に不安を感じている。
未来は何が不安なのか
その正体ははっきりしている。
 オレンジの夕日をみる
「知らない」ことだから、
不安や恐怖の存在を感じていしまう。
「知る」ということがどれだけ
心の不安を乗り越えられるアイテムとして
人間が大昔から「知識」を大事にしている理由。
それは、知るということが
不安な見えない未来を見えているように
予測することができるからだ。
それが♧の言う、知識と直観。
知識と直観が予測や予想となり
人に新たな可能性を教えてくれる。
それが、♧の役割だと思う。
♡は過去と情だ。
砂時計
一瞬にして今は過去となり、目の前を流れていく。
それは、人間の経験が積み重なっていく様であり
経験値となっていく。
実体験が思いとなる
人を感動させるのは、自分との共感であり
そのことを自分のことのように
感じるところから、なのである。
ということは、人に対して
自分のことのように共感できる心をあらわしているのが
♡なのではなかろうか?
愛は幅広い。すべてをあらわす言葉であり
♡だけを表すには少しニュアンスが違うと思う。
♡は「情」、感情、愛情、人情、情感、
情け(なさけ)でありひたむきさ、でもある。
親しくなることで相手に情が移る。
それが♡があらわす愛なのだ。
情は、相手が人間だけに限らず、
愛する人だけにとどまらない。
「情」の範囲は自分の周囲、すべてに広がっていく。
身近なものに情ができる。
つまり、♡は情。
夕日をあるく犬と自転車
♧は知である。
では、♢はどうなんだろうか?
♡と♧は感情、感じることと情けが近い感じがする。
つながっている、と言った方がいいのか?
ところが、♧と♢のラインが
つながっているのかどうか?と感じている。
そう、大人と子供くらいに
同じ人間なのに、まったく違うものに思えてしまうのだ。
大人と子供は考え方も行動も、全く違うように思える。
大人が理性的にかつ情熱的に、
目的をハッキリさせて行動している姿が♢の姿なのに、
子どもの♧は明確な目標もなく、
目的地もままならない。
ゴールはまったく見えていない。
だから、計画性もないし目標すらない。
なんとなく、直観で行動できるのは♧であり
♢のような明確な区分けを持ちにくい。
結果がハッキリ見えるものを好む♢であって
目指すことが得意なので
数字や名声に向かいゴールに向かうパワーを出しやすい。
人はベクトルを見つけることによって、進むことができる。
無駄に時間やお金を費やしたくないのも
♢の特徴かもしれない。
横断歩道の前にたたずむ女性
となれば、人生の長いスパンを見ることができるが
♤の特徴的な傾向
長くて広い世界観から、いろいろな答えをはじき出そうとする。
だから、自分の周囲を一生懸命になる♡へつながっていくのだろう。
 川に流れを照らすランタン
私たちの人生は
♡→♧→♢→♤→♡に戻る旅なのである。
大きくとらえると、
巡りながら人生において成長して旅するのである。
人生は、きっと一人旅なのだろう。
たった一人で自分の答えを出さなくてはならない、、、
その答えが正解かどうかなんて
誰かに聞くこともできないし、確かめられない。
そのことがわかるまで、色々な人々に訪ね歩くだろう。
そして、誰にも答えることができないのを知ると
歴史や偉人などが
自分と同じように人生の答えを
探していることを知ることとなる。
そして、自分の人生は小さなものだと気づき、
目的とそのゴールを目指していく積み重ねが
高い階段を上る方法だと気づくのである。
やがて、それは他人と関わりながら
螺旋階段のように自分を成長させていく
礎となり強固なものであり、
自分のチカラとなることを実感していくのである。
やがて、宇宙や地球から観たら、
自分の人生なんてほんの一瞬だと理解する。
 白い雲に浮かぶ城を見つめる姫
その時に感じるものは
いったいなんであろうとも
自分は自分のままで生きるしか
方法がないのだと気づくことになる。
人生に、100人とも
皆が理解できる答えは決してない。
大きな世界から自分を観てくれるものがある、ただそれだけ。
自分の中にある大いなる視点、
ミクロコスモスの存在があり
自分の中に宇宙があり
そこにある自分の世界があることに気づくだけなのだ。
その中で、どう感じながら
孤独と戦いながら生きているのか。
愛する人や愛するモノたちと自分の世界とを
共鳴させながら生きていこうとできるのか?
それが、トランプのスートにあらわされている。